東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University 東北大学 大学院情報科学研究科 Graduate School of Information Sciences, Tohoku University
 
 
 
 

研究者、駈ける #13 研究者、駈ける #13

生物現象にひそむ理に、数理の刃をふるう。瀬野 裕美 東北大学 大学院情報科学研究科 情報基礎科学専攻 教授 生物現象にひそむ理に、数理の刃をふるう。瀬野 裕美 東北大学 大学院情報科学研究科 情報基礎科学専攻 教授

行動と帰結を架橋する理論、「剣の理合」のなかに研究の真意をみる。

流れるように、しなやかに、力強く――まさに動静一貫の美しさだ。日本古来の武道、居合道。百錬の稽古に勤しむ剣士のなかに、瀬野裕美教授(夢想神伝流・四段)の背中の伸びた姿がある。研究や仕事でどんなに多忙であっても、時間をつくっては武道館に足を運ぶ。技を磨くことは、己を鍛錬すること。自分と向き合う貴重な時間だ。

「居合道は、その名の通り“居”ながらにして敵に“合う(遭遇する)”として形が組まれており、仮想敵を相手にする武道です。抜刀から納刀、残心に至るまでの一つひとつの型や技には、“こう動けば必ずこうなる”といった必然の理(ことわり)が備わっています。私たちは先人たちが積み上げてきた理論を理解し、それに従い、身体や剣の運用を学んでいくのです。こうした剣の理合(りあい)は、私の研究にも通ずるものです」

瀬野教授が専門とするのは「数理生物学」だ。複雑で多様な生命/生物現象を数学的思考法によってとらえ、数理モデルで解析する試みは古くから行われてきたが、近年の数学理論の進展、計算機能力の飛躍的な向上、データベースの発達などにより、当該分野は目覚ましい進化を遂げている。瀬野教授の取り組みは、現実に起きている生物現象・社会現象を科学的かつ理論的にとらえ、仮説や仮定を設定・検証し、議論や理解の手掛かりとなる数理モデルを示していくというものだ。これらは問題点を浮き上がらせ、既知を超えた可能性を探る起点となり得る。まさに“こうすれば、こうなる”というリアルな世界の理(ことわり)を探究する研究である。

複雑で多様な人間社会の特性や問題を読み解くカギに、数理モデリング。

本取材は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内流行が懸念される時期に行われた。不謹慎にもタイムリーと感じたのは、瀬野教授が掲げる研究テーマのひとつに感染症伝染ダイナミクスがあったからだ。「新型ウイルス発生の報に接する以前から、研究室セミナーでは、関連する問題について学生と議論していました。人の移動・交流と感染症の広がり(ヒト-ヒト感染)は表裏一体です。伝播のプロセスや可能性などを議論する上で、数理モデリングによる理論的考察が一定の役割を果たせると考えています」。

感染症の流行動態を記述する数理モデルは、近年著しい発展を見せており、制御・抑制対策のエビデンスとして採用されるケースもある。一方で、どのような数理モデルが合理的かつ適切であるかという根本的な問題がある。この問題に対して、瀬野教授は、従来適用されることの多かった連続時間モデルに対し、離散時間モデルを用いた理論的研究に取り組み、その特性の相違を明確にする研究テーマにも取り組んでおり、新しい数理モデルの提案につながる可能性を探っている。これまで試みられることの少なかった挑戦的研究だ。

「最近の研究テーマのひとつに『ゲーム依存症(世界保健機関はゲーム症/障害と呼称)』患者数の動態についての数理モデリングがあります。数理モデルの解析結果により、他参加者との交流が意味をもつオンラインゲームにおいては、ゲームそのものへの嗜癖よりは人との結びつきが依存性を質的に高めることがわかりました。また、早急に効果的な対策を打たなくては、依存症患者が急激に増えていく可能性を示す数理的考察も得ています」と瀬野教授。我々の振る舞いに潜在する数理的構図は、実に興味深い。

論文は作品。研究者一人ひとりの創造が、
新しい学際研究の風景を描いていく。

生物現象にひそむ真理や原理を論理的に記述する数理生物学は、学際的かつ融合的な研究分野である。数理的な知識と生物学的な知見、その双方の理を適切に統合するプロセスが前提となる。さらに感受性やセンス――己の英知と機知によって、他の人が気づかないことに目を向け、有益なことを発見する能力――も必要であろう。そして研究が深まるほどに広がっていく学問の世界がある。

世界各国から研究室の門をたたく若き個性に瀬野教授は言う。「自分がやりたいと思うものに取り組もう」と。研究は困難の連続であることを誰よりも知っている。倦まずたゆまず、続けるためにも、自分が興味の持てるテーマと向き合うことが大切だ。また、研究者としてやりたいこと、すなわち自らが「問い」を立てて初めて、学究のスタートラインに立つことができる、のだとも。そして、論文を仕上げたときに「たいへんだったけど、おもしろかった」と振り返ってもらえれば、指導者としてのこれ以上の喜びはない、と語る。

20代の約2年間をナポリで過ごした。異文化の中で得たのは、生まれ育った国や地域は違えども人間の根底は同じ、差異を生むのは文化なのだろうという洞察だ。研究の合間には、多くの芸術作品にも触れた。いにしえの芸術家たちの自己表現としての作品が、今、人類共通の文化遺産・資産として、尊ばれている。

論文も作品なのだと瀬野教授は言う。一人ひとりの研究者の広く深い知的活動と思索を論述した創作物が、現象を読み解く礎となっていく。クリエイティブな営為を積み重ねたその先で、生物現象・社会現象の数理モデリングはどんな風景を描くのだろうか。注目したい。